KC-26 畳縁・ターコイズ/ワイン・ワイン(かぐらや) hitete
21〜25.5(cm)
21〜25.5(cm)
KTC-05 藍染め・絞り/紺・紺(La Mano) hitete
21〜25.5(cm)
KTW-15 藤と蝶々・ヌガー/紫・紫(koha) hitete
21〜25.5(cm)
約400年の昔、寛永11年/西暦1634年、徳川三代将軍家光公が、日光東照宮や浅草寺などを手がけ幕府御用であった大工・木原木工允藤原義久を幕府方の棟梁とし、華村長左衛門を地元大工方棟梁として、国指定重要文化財である大拝殿を要する駿河国総社・静岡浅間神社を造営したことから「静岡ものづくり文化」が始まります。華村 (花村)家をはじめ大工や塗師方の子孫、また全国より優れた名工・匠・職人が集められ、特に彫刻には信州諏訪の立川和四郎親子三代や弟子一門が携わり、その功により立川和四郎は幕府より内匠の号を賜っています。寛永より浅間神社の造営に尽力した多くの名工・匠・職人は、造営後も気候温暖で食も豊かな駿府に定住し、木工・漆器などの無垢工芸品を手がけるようになり、脈々とものづくり文化を受継ぎ、無垢家具・匠指物・プラモデル・雛具・漆器・下駄・サンダルなど、ものづくり静岡・静岡特産工業へと発展してきました。
寛永の神社造営後も気候・風土に恵まれたこの地に住み着いた名工・匠・職人たちは、気候が漆芸に適していることに目を付け、漆塗り調度品(脇息(きょうそく)・文鎮・印籠・食膳など)の生産を始めたのが静岡無垢家具の発生と言われています。こうした漆器製品から鏡台、針箱が生れ、さらに塗り下駄、雛具、木製雑貨など種々の無垢木製品が生産され始めました。明治18年には、漆塗りの西洋鏡台家具が静岡市内内の業者によって初めてつくられ、これが当時の消費者のニーズにあっていたことや東西の消費地を控えての立地条件に恵まれていたことも幸いして、鏡台家具の産地として全国に名声を博すに至りました。また、茶ダンスなどの無垢和家具は、鏡台家具から分化したもので、大正7〜8年頃から生産が始まったといわれています。大正から昭和へと先覚者の努力によって、静岡は無垢家具産地として発展の一途をたどり、木製無垢家具産地の様相を濃くしてきました。戦後は、座鏡台と姫鏡台が家具生産の中心商品となっていましたが、順次、三面鏡台や洋鏡台へと椅子の家具文化もとりいれられ、昭和30年代後半からは、ドレッサーやサイドボードが新商品として開発され、無垢以外の新素材の採用、手作りから機械化への進化などにより、鏡台・和家具・無垢家具産地から総合家具産地を形成するに至りました。その後、生活様式の変化や所得水準・生活水準の向上によって家具の需要は拡大し、新素材や新技術の開発もあって飛躍的な発展をとげ、キャビネット等の箱もの家具を中心に様々な家具全般を生産することとなり、全国的に珍しい静岡独自の生産システム「社会的分業生産システム」が誕生しました。これは、メーカー型一貫生産ではなく、生産・販売を結ぶ扇の要の役割を持つ家具製造問屋を中心に、様々な家具加工関連業者によって分業体制が構築され、多品種少量生産が可能となる器用で特殊な静岡地域家具生産システムなのです。令和の家具産地静岡では、静岡独自の生産システムと長年培われた匠な技術を元に、伝統を受け継ぎながら新たな発想で家具づくりをする個性派メーカーや無垢家具作家たちが生まれてきています。 今、400年のものづくり文化を受継ぐメイドインシズオカの匠無垢家具は、次の未来に向かっていきます。
長きにわたるものづくりの歴史ある家具産地静岡、繁栄した時代、衰退した時代、伝統技術の継承、新技術の開発など、計り知れない経験値があるからこその「ものづくり文化」があります。そして、ものは人がつくり、人にはいろいろな「思い」があります。生き残りを掛け伝統を受け継いできた「思い」、先進技術により新ジャンルを切り開いた「思い」、静岡の地の利をいかして繊細な造形家具を生む「思い」。静岡は、長い時間の中から生まれてきた「思い」の数だけ、多種多様な「もののカタチ」が存在しているユニークな「ものづくり産地」でもあります。shizuoka-kagu.jpは、この多種多様なカタチを生むことのできる器用な地「静岡」の「無垢家具」「匠家具」から生活雑貨まで、「無垢、手づくり、匠、伝統、感性、未来」をキーワードにセレクトされた逸品を紹介するサイトです。また、サイズオーダーや特注仕様も可能な無垢家具がございますので、お気軽にメールやお電話にてお問い合わせください。